ドラマはなくても真心はある――苦節17年のオールドルーキーが語る熱い夢

氏名:浦田幸一/生年月日:1973年11月20日/趣味:ゴルフ、カラオケ(福山雅治、桑田佳祐)/特技:運動/好きな学科:科学
子どもの頃の夢を叶える人もいれば、大幅な軌道修正を加えて現実的な夢に到達する人もいます。どちらも尊い生き方であることに変わりはありません。連続インタビュー「税理士の履歴書」の初回となる今回は、40歳で税理士になった遅咲きの浦田幸一さんに、これまでの軌跡と夢を語っていただきます。
大きな挫折を味わった高校時代
小学校、中学校と野球に打ち込んできました。ポジションはキャッチャー、打順は4番か5番だったので主軸と言っていいと思います。キャプテンでもありました。多くの野球少年と同じように、私もプロ野球選手を目指していました。
中学校を卒業すると野球の強豪である商業高校に進み、もちろん野球部に入部。ところが、各中学校からトップクラスの選手が集まる高校だったため、レベルが高いうえに部員数が多く、ポジション争いはし烈を極めました。なにせ一学年だけで同じポジションの仲間が3人も4人もいる状態でしたから。次第に周りについていけなくなった私は結局、3ヶ月で退部しました。これが自分にとっての初めての挫折です。まさに志をへし折られた気分です。
野球部を辞めてからは熱中できるものがなく、高校時代は惰性で過ぎていきました。3年の時に簿記の授業があり、日商簿記3級に合格。その時、税理士という職業をぼんやり意識しましたが、なりたいとまでは思わなかったです。
大学の付属高校だったので、受験勉強はせずにエスカレーター式に大学へ進学しました。キャンパスライフはほどほどに、ホテルの宴会場や結婚式場などでのアルバイトに精を出す毎日。アルバイト代は友達と遊ぶお金に消えていきました。
私が大学卒業を迎える頃は就職氷河期。在学中から何となく税理士のことが気にはなっていたのですが、就職活動はせずにフリーターの道を選びました。喫茶店のウェイターの仕事です。
1年ほどウェイターを続けたある日、「このまま歳を取っていくのか」と思うと急に恐ろしくなり、気になっていた税理士事務所の門を叩きました。24歳の頃のことです。今から振り返ってみると、この時の決断が能動的に未来を選んだはじめの一歩だった気がします。
できることが一つずつ増えていくことの喜び
はじめて勤めた税理士事務所では仕訳や記帳代行など、税理士補助の業務をひと通り経験。入所して1年くらい経つとお客様先にも出るようになり、社長さんたちからいろいろなことを学びました。ゴルフを覚えたのもこの頃です。
お客様先に出る以上、所属する税理士事務所の看板に泥は塗れないという思いで真剣に働きました。もちろん至らないことはたくさんあったと思いますが、顧問先の社長さんたちからは温かい目で見ていただき、助けられた部分が多かった気がします。
こうした経験を重ねるうちに、自分自身も税理士を一生の仕事にする決心が固まりました。わからないながらも経営課題に一緒に取り組んだ社長からいただいた「ありがとう」の言葉は、日々の仕事や勉強に取り組む原動力になったと思います。
ただ、税理士試験にパスするのはなかなか難しく、20代と30代は仕事と勉強を並行する毎日が続きました。このままではダメだと思い、38歳の時から2年間、思い切って大学院に通ったんです。そして試験免除を受けて2013年、40歳にしてようやく税理士資格を獲得しました。
特に右も左もわからない状態で税理士事務所に勤めた20代は、自分の成長を実感できた時期でもあります。去年はできなかったことが今年はスムーズにできたりすると、やはりうれしいものです。できることが一つずつ増えていくことに喜びを感じました。
もちろん失敗もたくさんしました。判断を誤ってお客様に損をさせてしまったこともあります。その時はひたすら謝り、自分の上司である代表税理士にもフォローしていただいて事なきを得ましたが、一つの判断の誤りが事務所の評判に関わる重大事につながることを学びました。
士業間で連携してワンストップサービスの提供を目指す
自分の事務所を開いたのは2020年6月です。11件のお客様を抱えた状態でスタートできたので、どちらかと言うと恵まれた環境にあったのかもしれません。
さらにうれしいことに、関係先に開業のあいさつをする際に「どんなことができるの?」「何が得意なの?」「どんなお客さんと契約したいの?」など、積極的に訪ねてくださる方がたくさん現れ、顧問先の開拓につながっています。
一人ひとりのお客様と接する中で、問い合わせがあった時の対応の早さにはこだわっているつもりです。通常であれば当日中、遅くとも翌日中には必ず返事をします。また得意とする資金調達については、お客様の長所を金融機関に伝える際、数字の裏づけを示して説得力が高まるよう心がけています。
私は社会に出てから、税理士試験をなかなかパスできなかったことを除けば、大きな挫折を感じることなく今に至っています。みなさんに披露できるようなドラマはありませんし、どちらかと言うと波風が立たないように淡々と日々を送ってきました。
そんな生活ができているのも、税理士になるはるか以前から支えてくれた妻と、何よりもお客様のおかげだと思っています。妻は試験勉強の間だけでなく、開業してからも事務員として力を貸してくれています。また、ありがたいことに私に顧問先を紹介してくださるお客様もいます。それだけでもうれしいのに、「浦田さんにお願いして良かった」と言っていただけると、本当に税理士冥利に尽きる思いがします。
今は私と妻でこじんまりと仕事をしていますが、ゆくゆくは規模を拡大したいと思っています。税理士をはじめ弁護士や行政書士、社会保険労務士などが集まり、お客様に対してワンストップでサービスを提供できる体制を整えるのが目標です。異業種交流会で他の士業の方々と交わる中で、「ここへ行けば経営の悩みは間違いなく解決できる」という場所を作ってみたいと思うようになったんです。
進化を続けるAI(人工知能)によって税理士の仕事が奪われてしまう、と指摘されていますが、より多くの付加価値を提供していけば、私たちの仕事はなくならないと思います。お客様の気持ちに寄り添いながら、これからもがんばっていきます。
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キャプテンで4番でキャッチャー。チームを引っ張る存在だった浦田さんは、高校時代に挫折を経験して人生を軌道修正します。そして苦節17年の末に掴んだ税理士という道。2020年には自身の事務所を開業し、二つ目の夢である「できる税理士」に向けてまさに今、力強い一歩を踏み出したところです。そんな浦田さんのストーリーはこれからも続いていきます。
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